
2022年秋に父が他界。亭主関白だった父は、晩年にはその言動がひどくなり、母は振り回されていました。父が体調を崩して入院した日に母から連絡があり、「ホッとしたわ」と涙していました。入院後にわかったのですが、父は認知症を患っていたようです。そんな父を受け入れ、一緒に生活してきた母に夫婦の愛を感じました。
2021年に離婚した私にとって、結婚とは忍耐でした。でも、両親の姿を見ているうちに「結婚っていいな」と思うように。長年寄り添ってきた両親から感じた結婚観についてお話しします。
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いつも家にいるのが当たり前だった両親

私が子どものころ、母は専業主婦でいつも家にいました。仕事をすることもほとんどなく、私が学校から帰ると家にいるのが普通でした。また、父は仕事が終わると真っすぐ家に帰ってくる人で、19時過ぎにはみんな家にいる……そんな家族の中で私は育ちました。
父にも母にも、それぞれ友だちはいたようでしたがあまり交流はなく、年末などに少し会うくらいで、そのほとんどの時間を家族と過ごしていました。
私にとって、それが特別なことだとは感じていませんでしたが、今の自分と重ねるととてもまねできないことだと思います。たまには自分だけで好きなところへ出かけたいし、友だちともおしゃべりしたい。いつも「子ども中心の生活」であったことに、親になってみてその大変さを実感しました。
両親の喧嘩にならない喧嘩

父が仕事を辞めて家にいるようになってからは、さらにずっと一緒でした。どこへ出掛けるにも一緒だった両親ですが、母に聞くと「私は車を運転できないから、一緒に出かけるだけ」と言っていました。近くにお店がない田舎暮らしだったため、それも一因ではあったのかもしれませんが「ずっと一緒にいて嫌じゃないの?」と言っても「考えたことがない」と言っていたので、本当に合うんだろうな……とは思っていました。
ただよく喧嘩をする2人でもあったので、結婚し実家近くに家を買った私は、仲裁役に呼び出されることもしばしばでした。ただ、仲裁といっても何かに腹を立てた父が母に「怒った。家を出て行く」と言い、それに母が「それなら私もついて行く」と言っているのを仲裁するのです。
何だか話しているうちに私が悪者になり、「帰れ!」と怒られるパターンが多く、腑に落ちないこともよくありました。