ついに体も心も疲れ果てて
歯科衛生士は、歯医者では必要不可欠な人材です。同じ過ちをしたとしても、同僚の歯科衛生士は許してもらえても、歯科助手の私はやり直しをさせられました。
歯科衛生士は時間が来ると帰ってしまいますが、私は仕事が終わるまで仕事をします。歯科衛生士との待遇の差もありますが、コロナ禍でさらに消毒の手間も増え、疲れ切ってしまいました。
休憩もままならないのですが、受付の方が休憩しているコーヒーのにおいを嗅いで、休憩した気分に浸るのが精一杯です。こんな生活に、本当に体と心が悲鳴を上げていたのです。
さらに追い打ちをかけるかのように、施設に入っていた祖母が入院したという知らせが入りました。状態も良くないとの連絡です。私はお休みをもらい、帰省しますが、コロナ禍で入院している病院に入れてもらえません。それでも祖母の容態が気になり、すぐに東京へは戻ることができませんでした。
祖母に会えないのなら、すぐに仕事へ戻れば良いのでは?と思われるかもしれませんが、私は幼いころから、祖父母に育てられたと言っても過言ではありませんから、会えなくてもそばにいたかったのです。
退職し、新たな生活に挑戦中!
祖母のこともあり、私は51歳で歯科医院の退職を決意しました。大切な人とお別れもできない職場にいることも、悲しくなってきたのです。結局は祖母に会えないままでしたが、1週間は病院に毎日通い続けることができました。
退職後、祖母との別れを悲しむのを避けるために、すぐにWebライティング実務士の資格を取得し、持病を持っているわが家の老犬もいるので、在宅で仕事をすることにしました。
さらに、歯科助手経験を小冊子にして出しました。私自身が勉強になったことや、意外と歯医者選びに困っている患者さんも多かったので、役に立てればと思ったのです。1年間修行した歯医者の先生が受付に置いてくれています。
心は相変わらずで引き続きメンタルクリニックに通っています。いつもキャパを超えないようにと先生に言われてしまいます。
まとめ
私にとっては、東日本大震災が大きな人生の転機となりました。ずっと続けてきた大好きな旅行業界から、まさか患者として苦手意識を持っていた歯科医院に勤務するとは思っていませんでした。
でも今となっては、良い勉強と良い経験になったと思っています。歯科医院では薬について扱うことも多かったため、薬にも興味を持ち、「登録販売者」の勉強もしています。
気付けば、東日本大震災から12年たとうとしています。やはり昔ほど頑張りも利かず、心と体は悲鳴を上げていました。これからは、無理をしない範囲で仕事をしようと考えています。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。