孫から届いた「ばあば、出てきちゃダメ」の震える声。かくれんぼ中の異変から孫を守った私の決断
現在50代の私は、息子夫婦の離婚をきっかけに、孫のB子(当時小学3年生)を息子と一緒に育てることになりました。離婚後しばらくして、B子の表情が暗かったり …
ウーマンカレンダー woman calendar

私の娘は結婚から数年で離婚し、2年前からシングルマザーとして小学5年生の娘(私の孫)と2人暮らしをしています。普段はしっかり者の娘ですが、仕事と子育ての両立で心身ともに疲れているように見えることもありました。
★関連記事:母から突然のSOS「孫が倒れた!」単身赴任中の私が知った家族の異変
母子家庭での生活が始まったころ、私は夫と相談して「何かあったときにすぐ連絡が取れるように」と孫にスマホを持たせたいと提案しました。
「GPSで居場所もわかるし、少しは安心できるわよ」と言いましたが、娘は「まだ小学生だし、早いんじゃない?」と気乗りしない様子。
「でも、最近は通学路でのトラブルもあるし、持っておいて損はないわ」と説得し、最終的には私の負担で持たせることにしました。
その判断が、のちに“救い”になるとは、このときは思いもしませんでした。
そんなある日の深夜2時。スマートフォンに届いたメッセージを見て、思わず息をのみました。
「おばあちゃん、今から行っていい?」——送信者は孫でした。
孫からの「行っていい?」という連絡に驚いて電話をかけると、泣きそうな声でこう言いました。
「ママがずっと寝てて、ごはんも食べてないの」
慌てて車を走らせ娘の家へ向かうと、玄関を開けた瞬間、息をのみました。部屋の中は片付けられず、テーブルには食べかけの食事と、薬の袋がいくつも置かれていました。どうやら娘は体調を崩して寝込んでいたようでした。
「ママの具合、悪かったんだね。よく連絡してくれたね」と孫を抱き締めながら、胸がいっぱいになりました。
あなたの体験談も教えて! 抽選でギフト券進呈
私は夫の実家に同居し、足腰が弱って車椅子生活になった義母をお世話してきました。ところが夫は、仕事の付き合いと称して毎日のように飲みに出かけ、家のことにも義母のことにも関わろうとしま...
続きを読む現在50代の私は、息子夫婦の離婚をきっかけに、孫のB子(当時小学3年生)を息子と一緒に育てることになりました。離婚後しばらくして、B子の表情が暗かったり、不安そうにする日が増え、家...
続きを読む静かに暮らしていた私のもとに、長男の嫁からの子守依頼が増えていきました。最初は気軽に引き受けていましたが、次第に予定のある日にも頼まれるように。そんな矢先、私の入院をきっかけに「同...
続きを読む日本語教師をしている20代後半の娘に結婚が決まり、挙式の日を楽しみにしていた私。相手は、A男さんという大手企業に勤める会社員の方でした。ところが、結婚式を目前に控えたある日、娘から...
続きを読む結婚後、すでに両親を亡くし兄弟姉妹もいない私は、義母と義妹の暮らす義実家に同居することに。それからずっと、義母の介護と家事をしながら在宅の仕事に明け暮れています。大手企業の会社員の...
続きを読む現在50代の私は、息子夫婦の離婚をきっかけに、孫のB子(当時小学3年生)を息子と一緒に育てることになりました。離婚後しばらくして、B子の表情が暗かったり …
私は夫の実家に同居し、足腰が弱って車椅子生活になった義母をお世話してきました。ところが夫は、仕事の付き合いと称して毎日のように飲みに出かけ、家のことにも …
数年前に夫に先立たれ、私は年金を主な収入源として暮らしていました。長女一家と同居していたのですが、途中から失業した次女のB美が「しばらく置いてほしい」と …
私はつい最近、年の離れた姉夫婦を突然の事故で亡くしました。残された1人娘のB美は、思春期特有の反発もあって生活が不安定になり、すぐに引き受け先が決まらな …
仕事に追われながらも、家庭との時間を大切にしたいといつも思ってきた30代後半の私。妻のA子と、小学6年生の娘B美と過ごす毎日は穏やかで、特に問題もないと …
私は幼いころから、弟のA男と比較されることが多く、母との関係に長い間悩んできました。大人になってからも、母は弟を「家族の誇り」として持ち上げ、フリーラン …
私と仲の良かったいとこは、離婚後にひとりで子育てを頑張っていました。しかし病気で亡くなってしまい、高校生の1人娘・A子ちゃんが残されました。私の叔母であ …
10年間、寝たきり状態だった義父の在宅介護を続けてきた私。夫や義姉、義母は仕事や家庭の事情もあり、なかなか介護に関われない状況で、結果的に私が中心となっ …