孫から届いた「ばあば、出てきちゃダメ」の震える声。かくれんぼ中の異変から孫を守った私の決断
現在50代の私は、息子夫婦の離婚をきっかけに、孫のB子(当時小学3年生)を息子と一緒に育てることになりました。離婚後しばらくして、B子の表情が暗かったり …
ウーマンカレンダー woman calendar

私は、義父の介護に追われる専業主婦。夫は常に上から目線で、実父の世話を私に押し付け、外で遊び歩いています。唯一やさしかった義母も病に倒れ、ついに亡き人に。今まで夫の言う通りにしてきた私は、ある決心をしたのです。
★関連記事:「貧乏人はダメ!」「時代遅れだろ!」「縦読みすると…」2024年「スカッと体験談」人気ランキングTOP3
ここ何年も、義両親の介護を懸命に担ってきた私。義父は高齢で難聴、しかし施設には入れたくないという夫の希望で在宅ケアをしています。一緒に義父の面倒を見ていた義母も、数カ月前に病気になってしまい、入院中。お見舞いやさまざまな申請手続きなど、すべきことは毎日山積みです。
実子である夫は私がひとりで頑張っているにもかかわらず、協力を頼めば文句ばかり。専業主婦である私に対し、「働かないお前が介護するのは当然だ」と言い放ち、ワンオペでてんてこまいになっている私に感謝のひと言もありません。
家族の義務を押し付けつつ、自分は「仕事で忙しい」とお見舞いにも行かない始末。対話の余地もなく、理不尽な物言いに私の不満も募っていきました。
そして、やさしかった義母がついに他界。最期をみとったのは私だけで、各種届け出やお葬式の準備もひとりで決行。そうして葬儀の当日、私は文字通り「すべて」の手続きを終えて、ひとり実家に戻っていました。すると夫からブチ切れた様子のメッセージが届いたのです。
「義母の葬儀を欠席?」
「嫁の自覚が足りない!」
「もう嫁じゃないけど」
「え?」
そう、私は葬儀に欠席していました。なぜなら、もっともな理由があったから……。実は夫からの発案で、少し前に2人で離婚届を書いていたのです。夫いわく、「俺たちは平等だ。不満があれば互いに離婚を選ぶ権利を認めている。離婚届を用意しておくことがその証拠」とか何とか言って、署名も済ませていました。それを私は役所に提出したのです。
驚いて鬼電してきた夫に私は答えました。「もう嫁じゃないから自覚も何もない。お義母さんへの告別は昨夜したから大丈夫。そもそも、早く離婚しなさいって背中を押してくれたのはお義母さんよ」
そして、財産分与と慰謝料は後から弁護士経由で請求すると宣言。ありがちですが、夫は不倫をしていたのです。証拠集めを手伝ってくれていたのも義母でした。
あなたの体験談も教えて! 抽選でギフト券進呈
私はつい最近、年の離れた姉夫婦を突然の事故で亡くしました。残された1人娘のB美は、思春期特有の反発もあって生活が不安定になり、すぐに引き受け先が決まらない状況でした。そんな折、結婚...
続きを読む仕事に追われながらも、家庭との時間を大切にしたいといつも思ってきた30代後半の私。妻のA子と、小学6年生の娘B美と過ごす毎日は穏やかで、特に問題もないと思っていました。ところが、A...
続きを読む数年前に夫に先立たれ、私は年金を主な収入源として暮らしていました。長女一家と同居していたのですが、途中から失業した次女のB美が「しばらく置いてほしい」と言ってきて、一緒に暮らすよう...
続きを読む10年間、寝たきり状態だった義父の在宅介護を続けてきた私。夫や義姉、義母は仕事や家庭の事情もあり、なかなか介護に関われない状況で、結果的に私が中心となって義父の生活を支えてきました...
続きを読む私は夫の実家に同居し、足腰が弱って車椅子生活になった義母をお世話してきました。ところが夫は、仕事の付き合いと称して毎日のように飲みに出かけ、家のことにも義母のことにも関わろうとしま...
続きを読む現在50代の私は、息子夫婦の離婚をきっかけに、孫のB子(当時小学3年生)を息子と一緒に育てることになりました。離婚後しばらくして、B子の表情が暗かったり …
私は夫の実家に同居し、足腰が弱って車椅子生活になった義母をお世話してきました。ところが夫は、仕事の付き合いと称して毎日のように飲みに出かけ、家のことにも …
数年前に夫に先立たれ、私は年金を主な収入源として暮らしていました。長女一家と同居していたのですが、途中から失業した次女のB美が「しばらく置いてほしい」と …
私はつい最近、年の離れた姉夫婦を突然の事故で亡くしました。残された1人娘のB美は、思春期特有の反発もあって生活が不安定になり、すぐに引き受け先が決まらな …
仕事に追われながらも、家庭との時間を大切にしたいといつも思ってきた30代後半の私。妻のA子と、小学6年生の娘B美と過ごす毎日は穏やかで、特に問題もないと …
私は幼いころから、弟のA男と比較されることが多く、母との関係に長い間悩んできました。大人になってからも、母は弟を「家族の誇り」として持ち上げ、フリーラン …
私と仲の良かったいとこは、離婚後にひとりで子育てを頑張っていました。しかし病気で亡くなってしまい、高校生の1人娘・A子ちゃんが残されました。私の叔母であ …
10年間、寝たきり状態だった義父の在宅介護を続けてきた私。夫や義姉、義母は仕事や家庭の事情もあり、なかなか介護に関われない状況で、結果的に私が中心となっ …