義母「他人のあなたは留守番で」家族旅行で私を置き去りにした義母に大事なことを教えてあげた結果
家族旅行をすることになった私たち家族。しかし旅行当日、義母は出発時間を偽り、私だけ置いて旅立ってしまいました。「あなたは留守番に決まっているでしょ」と意 …
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健康だけが取り柄だった私。ところが40代になると、体重の増加と腹部の膨満感を感じるように。さらには腰痛や頻尿で苦しむことになりました。これって年のせいだよね? と思っていたのに、健康診断でまさかの病気が判明。子育ても一段落して、ようやく自分の時間が持てると思った矢先にがんがわかり手術することになりました。現在の経過観察に至るまでの経緯や大病から得られたことについてお話しします。
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40歳を過ぎたころから体重が増え、40代後半には過去最大値になっていました。ちょうど息子が大学受験を控え、とにかくお金がかかりシングルマザーの私はダブルワークで朝から夜中まで働く毎日。自分の体調に気をつかう時間も余裕もなく、不規則な生活とストレスからの食生活の乱れもあり体重はうなぎ上り。そんな状況もあって、おなかがポッコリ出ているとか腰が痛いという症状は致し方ない、年のせいだと思っていました。
息子がようやく就職をして、精神的にも経済的にも少し余裕が出てきた48歳の誕生日を迎えたころ、会社の人間ドックを受診をしました。エコー検査で担当の方に「子宮筋腫がありますか?」と聞かれましたが、忙しさにかまけ婦人科検診も受けていなかったため、そのように答えると担当の方は大急ぎで医師の元へ。すぐさまその場で医師の診察を受けることになりました。
医師は少しきつい口調で「生理不順や出血はなかったのか?」「なぜ不自然におなかが出てきたのに放っておいたのか?」と質問してきました。生理不順や不正出血はなかったこと、体重が増えておなかが出ていると思っていたことを正直に話すと、ここでは詳しい検査はできないから大きな病院を受診するよう勧められました。
受診したのは近所の大学病院。婦人科に行くのは気分が重く避けてきましたが、診察室に入ると男性の医師が丁寧に話を聞いてくれました。診察への不安は感じなくて大丈夫だと不安を消してくれる丁寧な応対。
ところが、いざ内診を始めると医師の声色が変わり「もしかしたら悪いものかもしれない」と言い始めたのです。そこから先は急転直下。次の診察のときは誰か一緒に来られるなら来てもらっても大丈夫だと言われ、ドラマでよく見た告知を想像せざるを得ませんでした。
MRIの検査結果は悪性かもしれないとの曖昧な答え。卵巣の場合、細胞の採取は基本おこなわないようで手術してみなければわからないとのことでした。おなかを30cm切ることや、術中に検査をして悪性ならば卵巣を全摘することなどの説明を受けて術日を迎えました。
不安な気持ちで迎えた手術当日。病気の不安はもちろんですが、高齢の母親がひとりで待っているかと思うと気がかりでなりません。術中検査の結果、子宮・卵巣すべてを摘出することになりました。手術はなんと8時間もかかりました。
もうろうとする意識の中、手術室を出た際、母に向かって必死に手を振ると「思ったより元気そうでよかった」と安心した顔を見せてくれた母。
その後ひとりで家に帰った母が、病気に勝つようにと普段食べないトンカツを買って食べた話を聞いて涙が止まりませんでした。
術後、母親は腰が痛いのに毎日のように病院に来てくれました。車の運転ができない母親は電車とバスを乗り継いで来るため、体力的にも負担が大きかったと思います。一方息子はまったく病院に姿を見せませんでした。寂しさもありましたが、それ以上に息子の今後のことが気に掛かりました。一人息子で離婚したため父親もいないので、私に何かあったら息子はひとりぼっちになってしまうと心配になり、自身を責めたりもしました。
母親の疲れもピークに感じたころ、息子からLINEが届き、会社の帰りに母親を迎えに来てくれるというのです。母親は息子の雑な運転にビクビクしながらもうれしそうでした。また、お互い子育てや仕事で忙しく、疎遠になっていた姉一家がお見舞いに来てくれたりと、がんという大きな病気にはなりましたが、同時に家族がいる喜びも感じることができました。
ですが30cmも切ったおなかは想像以上に痛く、毎日歩かなければいけないとはわかっていても本当に憂うつで、トイレに行って帰ってくるのに30分はかかり、ベッドから降りるときの激痛が恐怖でもありました。とはいえ医師も驚く回復力で2週間以内に退院もでき、あんな大手術をしてもこんなふうに回復するのかと思うと医学の進歩にも驚き、また医療に携わるスタッフの方にも感謝の気持ちでいっぱいです。
術後5年が経過しました。母親はさらに高齢になり不便なことが増えてきました。一緒にいてもちろん不満に思うこともありますが、手術した夜ひとりでトンカツを食べた母親を想像すると大体のことが許せます。私はというと、今でも再発の可能性が消えたわけではありません。これまでの自身の生活を振り返り、後悔したこともありますが、病気で得られたこともたくさんあります。
自分の命は自分だけのものではないこと、家族がいてくれることのありがたさを痛感した大切な経験でもあります。過去は変えられないけど、今できることを一生懸命にやろう。今の幸せが長く続くよう、この文章を書くことにより再度自分の生活を振り返りたいと思います。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)
2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。
イラスト/マメ美
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