孫から届いた「ばあば、出てきちゃダメ」の震える声。かくれんぼ中の異変から孫を守った私の決断
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私は夫と高校1年生の息子と3人で暮らす、アラフォーの主婦。息子が中学生のころまでは、家族の仲は良好だったのですが……息子は高校生になってから家族に反抗的な態度を取るようになりました。
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反抗期の息子は、私と夫の言うことをまったく聞かず、家に帰るのはいつも22時すぎ。最近、彼女ができたようで、彼女と夜遅くまで遊び歩いているようです。息子だけならまだしも、私は彼女と彼女の両親に迷惑をかけているのではないかと心配していました。
そんなある日、息子が珍しく私にあるお願いをしてきました。学校に持っていく弁当を2個に増やしてほしいと言うのです。私は、なぜもう1つ作らないといけないのか理由を聞いたのですが、話してもらえず……「とにかく作れ」と。2個作るのは大変ですが、息子の剣幕に押されて了承してしまいました。
それから私は、毎日弁当を2個作るようになりました。そして、2週間が経過したころ、彼女の母親から連絡がありました。息子と会ったときに私の連絡先を聞いたようです。私が感じよくあいさつをすると、彼女の母親はとても怒っている様子で、思いがけない言葉が返ってきました。
「あんたの弁当食ってうちの娘、食中毒になったんだけど?」
「慰謝料払ってよね」
「え…?」
私は最初、彼女の母親が何を言っているのかさっぱりわかりませんでしたが、あの日、息子が弁当を2つ作ってほしいと言ったのは、彼女に渡すためだったのだと気付きました。しかし、私が作った弁当で、彼女が食中毒になったというのは信じられませんでした。なぜなら、同じ弁当を食べた息子は食中毒になっていなかったからです。
すぐに息子を呼んで話を聞くと、もう1つの弁当を彼女に渡して一緒に食べていたことと、彼女が食中毒になったことは事実だとわかりました。そして、彼女は今入院しているようです。しかし息子は、食中毒になった原因は、お弁当ではないと言い切っていました。彼女の母親はいつも家に男の人を連れ込んで、その男が帰るまで彼女は家の中に帰れないそうで……夜遅くに、冷えたご飯や腐った生物を食べることが日常的にあったようです。
その後、私は息子と一緒に彼女のお見舞いに行きました。すると、彼女は私にお弁当のお礼を言い、食中毒になったのはお弁当のせいではないと、話してくれました。私はその場で彼女の母親に電話をしました。「娘さんが食中毒になった原因は弁当ではないと証言してくれました。なので慰謝料は払いません」と。それから彼女の母親が私に連絡をしてくることはありませんでした。
これはあとから息子に聞いた話ですが、彼女は退院した後、少し離れた祖父母の家で暮らすことになったそうです。そのため彼女は転校してしまいましたが、息子は、「彼女が幸せになれて本当によかった」と、うれしそうに笑っていました。それから息子は早く帰宅するようになり、以前のように家族で食卓を囲むことも多くなりました。食事をしながら息子は、学校での出来事や遠距離恋愛中の彼女とのことを楽しそうに話してくれます。
親が子どもを産むか否かは選べるのに対して、子どもは親を選ぶことはできません。だからこそ、親は子どもに愛情を注ぐべきだと思いますし、そのことを忘れてはいけないのだと、今回の1件で再認識しました。
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息子が「お弁当を2個作ってほしい」と言ったのは、彼女においしいご飯を食べさせたいというやさしさだったのですね。大変な事件に巻き込まれてしまいましたが、それ以上に大切なことを思い出させてくれましたね。
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