孫から届いた「ばあば、出てきちゃダメ」の震える声。かくれんぼ中の異変から孫を守った私の決断
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ある日、単身赴任中の私のもとに、母から慌てた様子の電話が入りました。孫、つまり私の娘に緊急事態が起きているというのです。話を聞くと、子どもと一緒にいるはずの妻がその場におらず、母も混乱している様子でした。
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私が単身赴任で、妻と8歳の娘・A美を残して遠方に赴任してから半年ほどたっていました。電話で家の様子を尋ねると、妻は明るい声で「単身赴任にも慣れてきたよ。ひとりで子育てしていても、けっこう楽しいかも」と話していました。
「あと1年くらい単身赴任でもいいかもね」と笑う妻に、私は少し引っかかりました。「いや、こっちは早く戻りたい。延長はしないつもりだ」と答えると、妻は「そっか」とだけ。
その軽い反応に、何とも言えない違和感を覚えたのを今でも覚えています。
翌日、母から「A美が倒れていたの!」と叫ぶような電話が入りました。話を聞くと、旅行のお土産を届けに家に寄った母が、家に入るなり娘が高熱でぐったりしているところを見つけたとのこと。私の頭は真っ白になりました。娘は季節の変わり目は特に熱を出しやすく、妻にも十分注意するよう伝えていたのです。
「今、救急車を呼んだから!」という母の声に、私は「妻は? そばにいるのか?」と尋ねました。返ってきた答えは、「いないのよ!」というもの。
その瞬間、血の気が引きました。妻に何度も電話をかけましたが、応答はありません。幸い、母が偶然訪ねてくれたおかげで娘はすぐに救急搬送され、応急処置で無事に回復しました。
しかし、あのとき母がいなければ――と思うと、今でも背筋が冷たくなります。
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