「介護は任せた」夫の放任に限界…義母のひと言で私の決断が動き出した日
私は夫の実家に同居し、足腰が弱って車椅子生活になった義母をお世話してきました。ところが夫は、仕事の付き合いと称して毎日のように飲みに出かけ、家のことにも …
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私は夫の実家に同居し、足腰が弱って車椅子生活になった義母をお世話してきました。ところが夫は、仕事の付き合いと称して毎日のように飲みに出かけ、家のことにも義母のことにも関わろうとしません。以前から金銭管理が甘く、家計を任せるのが不安な面もあり、夫に対して積もる思いがありました。
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同居を始めたころの義母はまだ自立できる部分が多かったのですが、徐々に介助が必要な場面が増えていきました。それでも夫は「上司との付き合いだから」「介護は任せた。俺がやっても役に立たないから」と言い訳ばかりで、約束していた家事も介護も放り出しがちでした。
私が不満を伝えても、夫はどこか他人事のような態度を変えませんでした。そんな折、義母の年金や生活費の使い道について夫が口を出すことがあり、義母自身も「自分のことを大事にしていない態度で、そんな話をされても信用できない」と強めにたしなめる場面がありました。
数週間後、義母が自宅で体調を崩し、急きょ病院へ連れていくことになりました。私はすぐに夫へ連絡しましたが、返ってきたのは「今日は外せない飲み会なんだよ」「そんなに急ぎなの?」という気の抜けた返事でした。
実際には命に関わる状態ではありませんでしたが、義母が不安定な様子だったため、私は「今すぐ来てほしい」と強めに伝えました。それでも夫は動こうとせず、私は深い落胆と疲労を覚えました。
その後、診察や入院の手続きを終え、義母が落ち着いてから帰宅した夫は、状況を十分に理解していなかったようで、「そこまで大事だとは思わなかった」と軽く言うだけでした。
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