
2018年に『じっと手を見る』、2019年に『トリニティ』が直木賞候補となった窪美澄さん。今年の7月には、短編集『夜に星を放つ』で第167回直木賞を受賞されました。現在、56歳の窪美澄さんは、どのような生活を送りながら、日々、どんな想いで執筆に取り組まれているのでしょうか。インタビュー1回目の今回は、『夜に星を放つ』の収録作品の成り立ちなどを中心にお話を伺いました。
受賞後の1カ月間は目の回るような忙しさ
――直木賞のご受賞、おめでとうございます。
窪さん ありがとうございます。
――受賞会見では「まだ実感がない」ということをおっしゃっていましたが、改めて今のお気持ちをお聞かせください。
窪さん 受賞会見から賞の贈呈式まで1カ月ほどあったのですが、時間がピュンと飛んでいるような感覚でした。ありがたいことに、いろいろな媒体さんから取材のご依頼をいただいたりもしていまして、たくさんのことをこなしている間にあっという間に時間がたったという感じです。ですから正直なところ、いまだに「直木賞をいただいた」という実感が湧かないんです。
――シングルマザーとして育て、独立なさった息子さんは、受賞に際してどのような反応をされていたのでしょうか?
窪さん 受賞が決まったときに息子にLINEでメッセージを入れたのですが、仕事の都合でずっと未読だったんです。夜になって再度、「直木賞をいただいたんだけど」とメッセージを送ったら、「えっ!?」という返事が3回ほど続きました。その後、「今、アドレナリンが出まくってすごいんじゃないの?」とメッセージが来たのですが、そんなことはなくて、私自身はすごく冷静だったんですね。息子も受賞を喜んでくれましたし、先日の贈呈式にも来てくれてうれしかったです。
コロナ禍での経験が作品に生かされている
――受賞作『真夜中に星を放つ』には5編の短編が収録されています。1編目の「真夜中のアボカド」の主人公は、コロナ禍にマッチングアプリで出会った恋人がいる女性です。
窪さん 私の年下世代の友人たちが、コロナ禍でマッチングアプリにハマり始めたんです。当時、コロナは今よりもずっと怖い存在でしたし、「この状況でマッチングアプリってどうなの?」って疑問に感じてもいました。
でも、あるとき、ふと「コロナ禍でも人と触れ合いたい、人のぬくもりが欲しいと思うのも当然かもしれない」と思ったんですね。それ以来、マッチングアプリに肯定的になって友人たちの様子を見守っていたんです。「真夜中のアボカド」は、そうした中で思いついたお話です。
――タイトルの“真夜中”にはどんな意味があるのでしょうか?
窪さん 少し前までは新型コロナに対して、今以上に緊張感がありましたよね。ソーシャルディスタンスに神経質になったりなど、緊張しながら仕事や生活をする中で、私自身、真夜中にちょっとだけ解放されるような感覚があったんです。そこから“真夜中”という言葉が出てきたように思います。
――物語は、主人公が育てるアボカドの成長とともに進んでいきます。
窪さん 実際に、私がアボカドを育てているんです。小説家というのは非常に孤独に強い職業ですし、私自身もひとりでいるのは割と平気なほうなんです。
ただ、さすがにコロナ禍が長引くにつれて物寂しい気持ちになったんですね。とはいえ、猫などの動物を飼うのは重く感じられて、植物を育てたいなって思ったんです。私はよく、朝食でアボカドを食べているので、その種を育ててみることにしました。
――物語の中では、種から根が生えるなどアボカドの変化がつづられています。
窪さん アボカドの種から根っこが出てきたり、双葉が生える様子を見ていると植物と共存しているような気持ちになりました。かなりゆっくりなペースではあるのですが、気付くと大きくなっていて、今は50㎝くらいの高さにまで成長しています。