「まさか!」毎年欠かさない人間ドックで眼底検査がD判定!再検査で診断された視神経乳頭陥凹拡大て?
出産、子育て時期を除いて、会社を退職後も毎年欠かさず人間ドックへ行っていた私。健康に注意してきたので、検査結果の「再検査のご案内」の文字が目に飛び込んで …
ウーマンカレンダー woman calendar
5年間にわたり、車で1時間半かけて実家に通い両親の介護をしていた私。自分も年齢による体力の限界を感じつつ、アルツハイマー型認知症の父と車椅子生活の母を介護する日々は悩みの連続でした。
しかし、2023年に2人とも他界。少しばかりの後悔と、やれるだけのことはやったという思いが入り混じっています。父の物忘れが始まってから、要支援と認定されるまでについてお話しします。
★関連記事:
父のおかしな行動が見られ始めたのは、父がちょうど80歳のときでした。そのころ、私たち家族は夫の転勤のために遠方に在住。兄も車で実家から5時間かかるところに住んでいましたが、私の住まいよりかはまだ兄のほうが近く、あるとき「父がちょっとおかしい。話がかみ合わないときがある」と連絡して来ました。
そこで、まずは地域包括センターに相談することに。高齢の両親は2人暮らしなので、定期的に連絡や自宅訪問をしてもらえるように依頼しました。また、私や兄の心配解消のために物忘れ外来に父にしぶしぶ通院してもらいました。当時はまだ物忘れ検査の結果やMRIで撮影した脳の萎縮状態も年齢相応の症状だったため、私も安心していました。
しばらくして夫の転勤のため、私たち家族も実家の隣県(車で1時間半)に引っ越し。今思い返せば、引っ越しの日に父から10回以上も電話の着信があり、そんなに電話しないでと怒ってしまったのですが、すでに認知症の症状が表れていたのだと思います。
また、私の子どもは当時小学4年生で、まだひとりで留守番を長時間したことがない時期でした。土日なら子どもを夫に預け、1泊でゆっくり両親の様子をうかがいながら、掃除や洗濯、料理をして帰ることもできましたが、地域包括センターは平日の昼間のみしか営業していません。両親共に介護対象者なので保護者は私になり、月1回の訪問・打合せ時には、朝子どもを送り出してから車で出発し、子どもが学校から帰宅する15時には戻るという中距離介護が始まりました。
「自分はおかしくない! 以前も異常なかった!」と主張する父を病院に連れて行くだけでも大変でしたが、「私も付き添うから、まずは物忘れ外来に再度通院してみよう。そんなに自信があるなら、正常という結果が出ればそれでいいじゃない」と何とか説得して病院に。
しかし、病院も平日昼間と土曜日午前中しか開いていないので、必然的に土曜日の午前中になり、金曜日の深夜に出発し1泊して翌日の土曜日に診察という生活を定期的に続けました。土日対応していただける病院がほしいと何度思ったことか……。
個室に呼ばれたので嫌な予感はしたのですが、診断はアルツハイマー型認知症でした。車の運転をやめさせなければならない、要介護認定を受けたほうが良い、どうやって父を説得するのか、1年後はどうなるのか、3年後は私のこともわからなくなるのか……。頭の中をいろいろなことがぐるぐると巡っていました。
父に「介護認定審査を受けるよ」と言っても「必要ない」という返答しかないので、私と兄で相談し、私が申し込み、父には「ちょっと審査だけ受けてみるよ」と事後報告にしました。
最優先すべき課題は、父の運転をやめさせること。これがひと苦労! 「まだまだ運転できる! 田舎では車がないと不便だし、運転にも自信がある!」という父を説得することは非常に難しかったです。
何カ月かかけて説得し続けた内容は、
1「運転をやめてくれれば、私が買い物や病院に運転して乗せて行くよ」と車の鍵を預かり、「運転卒業」の寄せ書き色紙を家族で作成
2「車も売れるうちに売ったほうが良いよ」と、ディーラーに査定の予約
3「バスで駅まで行く方法もある」と、バスの時刻表と駅まで行く方法を教える
4「町の巡回バスもある」と、バスチケットを購入し、乗車方法を教える
5「近くなら自転車ですべて行くことができる」と、自転車屋に一緒に行き、自転車修理と購入を検討
特に1の車の鍵を預かることは父も納得せず、怒っていましたが、仕方ありません。凶器になり得る車だけは持たせることはできなかったのです。
しかし、時間をかけて父が徐々に車生活から離れられるように。そして、介護審査から1カ月後、「要支援2」という判定が出ました。
私は、父の尊厳を尊重しつつ介護へと導くことが非常に難しかったです。何せ本人は丈夫で「自分は正常だ、認知症ではない!子どもの世話などにはならない」と本気で思っているのですから。私の父の場合、「要介護認定の審査に申し込み」「運転卒業」までの道のりが長く険しかったように感じます。父の承諾を得たとは言え、これだけでも心苦しく、父を傷つけてしまったかもしれません。実父だからこそ多少強引に事を進めましたが、「やれるだけのことはやりきった」と今では思っています。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)
2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。
ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室
★関連記事:「母が壊れた…」1人暮らしの母が認知症を発症!?地元でサポートする兄との関係も微妙に【体験談】
あなたの体験談も教えて! 抽選でギフト券進呈
インスタグラムやブログで家族の話をつづっているおーちゃんによる50代の日常を描いたマンガをご紹介します。 今回は、孫のイベントでのエピソード。懸命にスマホで撮影する中、娘から「撮り...
続きを読むある日、右目のまぶたにコロコロとした違和感が! 鏡を見てみるとまぶたにポコッとしたふくらみがありました。数日たてば治るだろうと、市販の洗眼液で目を洗うだけで放置していると、日に日に...
続きを読む健康だけが自慢だった夫が、あるときからめまいと片頭痛を訴えるようになりました。会社の健康診断では特に問題なく、産業医に相談しても「疲れているのでは?」のひと言だけ。しかし、症状が徐...
続きを読む老眼鏡を使い始めて数年。でも、もともと近視&乱視でそれ用の眼鏡とコンタクトレンズも併用しています。老眼&近視&乱視の三重苦の私が生活シーンによって、いろいろ使い分けている様子をお伝...
続きを読む出産、子育て時期を除いて、会社を退職後も毎年欠かさず人間ドックへ行っていた私。健康に注意してきたので、検査結果の「再検査のご案内」の文字が目に飛び込んで …
朝起きるとまぶたが真っ赤に腫れていて、ひどいかゆみを感じました。結膜炎と思っていたところ、まさかの原因が発覚し、とても驚いた体験を紹介します。 ★関連記 …
加齢とともに訪れる、視力の衰え。40代に入った私も、スマホの文字にピントが合わなかったり、新聞の文字がぼやけたりと、視力の変化を感じるようになりました。 …
私はパソコンを使う仕事をしています。日ごろから目が疲れると感じていましたが、市販薬などで対応しあまり気にしていませんでした。しかしある日突然、視界に虹の …
年齢とともに目のかすみや疲れがひどくなるのは、仕方のないことかもしれません。でも、実際に自分の身に起こるとショックもひとしおです。普段は眼鏡ユーザーの私 …
50代になりパソコンやスマホなど近くを見るときに細かい字が見えにくく、でも車の運転のときに遠くが見えにくいなど、遠近両方ともに厄介な状態に。今まで酷使し …
私はメイクをするときに苦手なことがあります。それはビューラーです。まつげを根元から挟んでクルンとさせるだけですが、その「挟む」ことがひと苦労でした。これ …
20代のときにレーシック(レーザーを角膜に照射させることによって、近視や乱視、遠視を改善する視力回復手術)を受けた私。40代になったある日、友人との会話 …