- 2024.10.17
- パニック障害,
「呼吸ができない」電車に乗れなくなった夫。パニック障害克服のきっかけとなった妻の意外なひと言とは
結婚前3Dデザイナーだった夫が過労からパニック障害になりました。当時大阪で勤務していた夫は、ある日東京に出張へ行きました。そこで疲れから意識がなくなりそ …
ウーマンカレンダー woman calendar
私はあがり症な上に過去の経験がトラウマとなり、人前で話すことがとても苦手です。人前に立つと必要以上に緊張して声が震えてしまいます。そんな私ですが次期PTA役員を務めることが決定してしまいました。そうなると嫌でも大勢の人の前で話さなければいけません。「何とかこのあがり症を改善したい! 」と勇気を出して心療内科を訪れてみた私についてお話しします。
★関連記事:37歳で不安障害を発症してどん底だった6年間。苦しみながらも克服できた理由は【体験談】
私があがり症になったきっかけは小学3年生のときにあった歌のテストです。私が歌う番になったら、クラスの男子数人から「あいつ、また変な声で歌うぞ」とからかわれたことが原因でした。
それまで私は先生から「歌がじょうずだね」と褒められていたので、歌うことに対しては自信がありました。しかし自分の歌う直前に思いもよらないことを言われてしまったので、大きなショックを受けてその場で泣いてしまいました。
その後、何とか歌い切ったものの、声は泣き声のままでうまく歌えなかったことがトラウマとなり、人前で何かをする自信がすっかりなくなってしまいました。その結果、国語の授業の音読さえも声が震えるように……。この経験により、私はすっかりあがり症になってしまいました。
そんな私は社会人になり、接客業に就きました。会社では「接客業は人前で話すことに慣れなければいけない」という方針だったため、毎日1人ずつ、全員がスピーチをする時間がありました。そのため「毎日いちいち緊張してはいられない」と感じ、そこから徐々に人前で話すことが苦痛ではなくなりました。
社会人の間は、ある特定の場面で緊張して声が震えることが時々ありましたが、そこまでひどくなくやり過ごせてきました。しかし結婚・出産後は人前に出る機会がなくなり、気が付けばあがり症が復活。
いつの間にかあがり症に戻ってしまっていた私は、次の春からPTA役員を務めることになってしまいました。もし委員長になってしまったら、地区の保護者の前で話さないといけないのはもちろん、PTA会議では学校の先生や保護者の前で発表をしなければなりません。
「このままではいけない! 何とかあがり症を克服したい!」と思い、勇気を出して心療内科へ行ってみることにしました。
心療内科と聞くと、あがり症の悩みくらいで行ってはいけないところなのかな? と思っていましたが、足を運んでみたら悩みは違えど、私くらいの年齢の女性が多くいたことに驚きました。
「心療内科は余程心のダメージがない限り、行ってはいけないところ」というイメージだったのが「心療内科は気軽に相談してもいいところ」という印象に変化し、受診してみてよかったと思いました。
そして診察では、あがり症になったきっかけやこれまでの経験、何に一番困っているかなどを丁寧に聞いてもらった上で「社会不安障害」という診断名が付きました。これからはSSRIという抗うつ薬を飲んで、少しずつ様子を見ていくことになりました。
私は「薬を始めるとやめられなくなってしまうのではないか」ということが心配でした。医師によれば薬を服用しながら成功体験を重ねていくことで、減薬して最終的には薬に頼らなくてもいい状態を目指すことができるそうです。その点も私が安心して治療を始められた1つでした。
あがり症に長年苦しんできた私が、PTA役員という避けられない現実に直面し、症状改善のため初めて心療内科へ行ってみました。敷居が高いような気がしていた心療内科でしたが「特別なところではないんだ」と感じてホッとしています。
私がPTAの大役を実際に務めるまではまだ少し先なので、薬の効果は今のところよくわかりません。しかしあがり症さえ克服できれば、PTAの仕事自体は楽しくできるかなと思っています。これから病院に通いながら、あがり症が少しずつ改善できたらうれしいです。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)
2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。
イラスト/サトウユカ
★関連記事:「まさか私が…」激務で不安障害に。絶望のどん底から回復までの道のり【体験談】
あなたの体験談も教えて! 抽選でギフト券進呈
Sorry. No data so far.
結婚前3Dデザイナーだった夫が過労からパニック障害になりました。当時大阪で勤務していた夫は、ある日東京に出張へ行きました。そこで疲れから意識がなくなりそ …
私はあがり症な上に過去の経験がトラウマとなり、人前で話すことがとても苦手です。人前に立つと必要以上に緊張して声が震えてしまいます。そんな私ですが次期PT …
仕事と子育てで心身ともに忙殺されていた30代。もう限界かも……と思ったときに思い出したのが、日記を書く習慣でした。心のもやもやを書き出すことで、思いがけ …
私は市内の病院前にある薬局で事務員として働いています。昨年に先輩上司が定年退職を迎え、ついに私が最年長の職歴になりました。先輩の抜けた業務が重くのしかか …
「HSP」という言葉を最近よく耳にするようになりました。HSPとはHighly Sensitive Personの頭文字を取った言葉で、人一倍繊細な心を …
夫と夫婦喧嘩をしていたときのことです。私は呼吸がうまくできず苦しくなり、体に大きな異変を感じました。そのとき夫も私がおかしいと気付いたようです。 ★関連 …
私は昔、同級生からひどい対応を受けました。それが原因となり、15歳から精神科に通ってます。 ★関連記事:「夫や子どもにイライラ」パニック障害と産後うつで …
37歳のときに不安障害を発症しました。当時人が少ない職場で働いていて、自分が休むと周りに迷惑がかかるという思いから休みも取らずに朝早くから夜遅くまで働き …