- 2024.10.17
- パニック障害,
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37歳のときに不安障害を発症しました。当時人が少ない職場で働いていて、自分が休むと周りに迷惑がかかるという思いから休みも取らずに朝早くから夜遅くまで働き詰め。そんな中で発症しました。その後、約1年半の通院生活を経て自己判断で通院をやめたものの、完全には治らず不安定な状態は継続。43歳で回復したと思えるようになるまでは人生のどん底でした。私が不安障害を発症してから克服するまでにしたことを紹介します。
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不安障害を発症してから1年半ほどは心療内科に通いつつ、自分でできることは何かを考えて行動していました。していたことは以下の3つのことです。
1.ちゅうちょせずに薬に頼った
不安障害と診断された当初は、精神安定剤などの薬に頼ることは不安でした。ですが私の場合、発症すると急に動悸が激しくなったり夜眠れなくなったりして、体調が悪くなって精神状態にも影響を及ぼしていたので、薬に頼ることも大切ではないかと思うように。ちゅうちょせずに薬を飲むようになったおかげで、安定した精神状態を保てる時間が増えました。
2.不安を感じる環境から逃げた
不安障害を発症してから、職場にいると急に動悸がしたり手が震えたり、不安が増したりするようになりました。休職という手もあったのかもしれませんが、私の場合はこの仕事を続けること自体が不安だったため、辞めました。
3.いつも楽しくなるように心がけた
日常生活では、バラエティーやコメディなど楽しい気持ちになれるテレビを見ました。テレビを見ている間は不安が和らぐのです。また、楽しい音楽を聴いて踊ること、美術館や公園など心が豊かになる場所に行くことも気分を上げるのに効果的でした。友人と会って、不安に思っていることやたわいのない話をするのもよかったです。
半面、事件や事故などの悲しい話題などはより不安感が増してしまうので避けました。
上記を続けた結果、心療内科に通い始めて1年半ほどで徐々に薬が減り、頓服薬のみの処方に変わりました。そこで私は、今後は薬がなくなるが何かあったときに行けば良いやと思い、自分から通院を中止。そう思えるくらい回復したと感じていたのですが、やはりまだ不安定な状態は続いていました。結局は自分の性格を変えなければ不安定な状態が続くと考え、自分の性格を改めることにしました。
ネットで検索したところ、不安障害になりやすい人は以下に該当するようでした。
・感受性が強く繊細で心配性。小さいことにクヨクヨしやすい。
・完璧主義で理想が高い。頑固で負けず嫌い
弱気な性格と強気な要素を併せ持った人が発症しやすいようでした。私は、まさに自分のことだと感じました。
私が自分の性格を改めるためにしたことは以下の3つです。
1.終わったことをクヨクヨしない
例えば仕事でミスをしても、あのときこうすればよかったなどとクヨクヨ考えると、後悔する気持ちをずっと引きずることになります。終わったことはさっさと忘れて、次にどうすれば良いのかを考えるようにしました。
2.完璧主義をやめる
理想が高すぎる私は、自分の知識や技術の蓄積のために毎日何かをしないと不安になっていました。頑張らなくてもいいんだよと自分に言い聞かせて休むようにし、その分自分が楽しくなることに時間を使いました。
3.負けず嫌いを捨てる
人との競争をやめ、過去の自分と競争することにしました。以前の私には他の人のほうがうまくできると、それを追い抜こうとして頑張る傾向がありましたが、それをやめ、過去の自分よりも今の自分がどれだけできるようになったかを基準にするように。そうすることで負けず嫌いがなくなり、心に余裕ができました。
不安障害にはいくつか種類があり、医師の診断では、私はその中のパニック障害でした。電車やバスなど乗り物に乗っているとき、歯科医院や美容室にいるときなど、自分の意思だけではその場から離れにくい場所にいることで急に激しい不安に襲われ、発作を起こすことが一般的な症状のようです。ですが私の場合、乗り物内では発作は起こらず、日常生活で急に不安になるという状態でした。
そこで原因を分析すると、私は自分自身で心の中に逃げられない箱を作っていたことがわかりました。例えば不安障害が治らなかったらどうしようという不安がある場合、不安障害が治らないという箱を心に作って中に入り、自ら逃げられない状態を作っていたのです。そこから出る方法を考えた結果、結局は「人生どうにでもなる精神」を持つことが大切だと気が付きました。
将来起こるかわからないことを心配しても仕方ない。それよりも今を楽しむ気持ちを持とう。これに気が付いたとき、心がずっとラクになりました。だから今の私のモットーは「今を楽しく生きる」です。将来起こることは将来に任せ、今を大切に生きることこそ幸せに生きるコツだとわかりました。
私はこの「今を楽しく生きる」という考え方に至るまでに6年間もかかりました。一歩進んで三歩下がったり止まったりする毎日で、はい上がってくるというよりは、月日がたつに連れて心がだんだんと浮いてくる状態でした。ただ、たくさんのことに触れ続けて考えた結果、この考え方になり救われました。
どん底を経験し、不安障害になってしまうほど仕事を頑張ったことを後悔していましたが、そこから物事を見る目が変わり、回復した後は病気になる前の私よりもより深く物事を見ることができるようになりました。「今を楽しく生きる」というモットーで、これからも楽しく生活をしようと思います。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)
2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。
イラスト/サトウユカ
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